柳町 延宝元年(1673年) |
能楽の殺生石から考案したもので、鳥羽院に寵愛された玉藻前は、実は金毛九尾の狐で帝の生命を奪おうとしていたのを安部泰親に見破られ、東国に逃れ、那須の殺生石となって旅人を悩ましていたが、玄翁和尚のほう力によって成仏したという。所望は玄翁和尚の法力によって石が二つに割れ、玉藻前の女官姿の顔が狐に変るところを見せる。
別名称「玄翁山」 (大津市観光協会パンフレットにより)
殺生石山(せっしょうせきざん)
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そろいの衣装に身をかためた綱引きさん
殺生石山の曳山に乗り、鉦をたたく子供たち
見送り幕は、大津出身の画家小倉遊亀さんの富士山を描いた作品という
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曳山の天井も金張りで、花を描いた作品が見える