後在家町・下小唐崎町 元禄六年(1693年) |
俗に釜堀山ともいう。中国二十四孝の一人郭巨は、家が貧しくて老母を養うのがやっとであった。子供が生まれたが、老母は自分の食を減らして孫に与えねばならなかった。
「子供は又得られる。母は再び得ることは出来ない」郭巨は妻と相談し、子供を土中に埋めようと穴を掘ったとき、そこから黄金の釜が出てきたという故事による。所望は、郭巨がくわで穴を掘り、黄金の釜を出すところ。(大津観光協会パンフレットより)
郭巨山(かっきょやま)
郭巨山の「書」は、空海の書と言われてきたが、高名な書家である「顔真卿」の作品が元になっているらしい
郭巨山の見送り幕「陳 廬岡祝賀叙文刺繍」が京都の川島織物により復元新調された