白玉町 万治元年(1658年) |
古くから西宮の蛭子を出して飾り、祀っていたが、後に曳山に載せるようになった。
その後は鯛を釣りあげた蛭子に商売繁盛を祈るという。所望はえびすさんが鯛を釣り上げる所作。
この所作から俗に「鯛釣山」と呼んでいる。この曳山が作られたころは宇治橋姫山と称していたが、延宝年間以後、今の西宮蛭子山と称している。 (大津観光協会パンフレットより)
西宮蛭子山(にしのみやえびすやま)
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全体のバランスがよく美しい曳山だ
曳山に乗り鉦をたたく子供たち
赤を基調にした見送り幕と胴幕。
胴懸が本年、新調された