インドのビハール、ベンガル(インド東部とバングラディシュ)の両地方で栄えた美術で、インド仏教美術の末期を代表する。この時代
にブッダ・ガヤー、サールナート、ナーランダーなどの伽藍は増改築され、オーダンタプリー、ヴィクラマシラー、バハ-ルプルなどの伽藍
が新しく造営され、同時にネパール、チベット、東南アジアの国々に大きな影響を及ぼした。
しかし、12世紀の中頃に、デカン地方から進出してきたセーナ朝にとって代わられた。セーナ朝は、ヒンドゥー教を信奉したため、仏教
は衰え、しかもセーナ朝は1世紀も満たずにイスラム勢力の侵入により滅亡し、仏教は壊滅した。(1200年頃)
(インド、ビハール州)
5世紀に建設され12世紀にイスラム教徒に破壊されるまで仏教研究の中心地であった。また多くの留学生を受け入れ、7世紀前半に
玄奘が学んだ時は、1万人の学僧がいた。現在残る遺跡や彫刻は、ポスト・グプタ期からパーラ時代(7−12世紀)にかけてのもの。
ナーランダ大塔
原塔を7期にわたって増改築したものでナーランダー寺院の中心的遺跡
ナーランダー大塔に付属する小高塔 |
壁柱に区切られたチャイティヤ・アーチや方形龕の内に仏像を配置した。この時代の高塔式仏殿の装飾法が知れる
小高塔 最上階の仏龕に配置された仏陀坐像 (7−8世紀)
ナーランダー大塔横の奉献小塔 | ナーランダー大塔に付属する小高塔 |
ナーランダー大塔に付属する小高塔は、二基が比較的よく残っている
奉献小塔 頂部
奉献小塔の壁面には、仏坐像が配されている
小高塔、チャイティヤ・アーチの龕に納められている仏坐像 | 小高塔、チャイティヤ・アーチの龕に納められている仏坐像 |
小高塔の一階壁面
小高塔や奉献小塔に飾られたストゥッコの仏・菩薩はサールナート派、グプタ様式の流れをくんでいる
観音坐像 (ナーランダー考古博物館) | 触地印仏坐像(パーラ時代、ナーランダー考古博物館) |
パーラ時代になると、坐仏のほとんどが触地印を結び、大衣は右肩を露出する偏袒右肩(へんたんうけん)となる。触地印は、「降魔成道」の仏陀を示す印
ナーランダー考古博物館には多くの出土品が展示されているが、館内は写真禁止で、上の写真は館外に展示されている仏像
小高塔最上階の仏坐像(7−8世紀)
グプタ仏に比べ繊細さ、瞑想性、流動性といった感覚的な表現が押し出される。反面、肉付けも弱く身体は華奢になってくる
ナーランダー 大僧院 跡
東側に並ぶ六つの大僧院は、方形プランで中庭を囲んで四方に房室を並べ、祠堂を含む
前代からの形式を継承したもの。2〜3階建で、たくさんの学僧に居住用として用いられた
ナーランダー 僧院 跡
僧院跡にはレンガ造りの小ストゥーパが残っていた
パーラ朝の仏教遺跡と美術・ブッダガヤー アジアの宗教美術と博物館!
ナーランダー 遺跡
ナーランダーの大僧院やストゥーパはレンガによって造られている
(撮影:1998年12月30日)