マウリヤ朝第3代アショーカ王(在位BC.268-232年頃)は、インド亜大陸を統一した後、武力による征服を悔いて、法(ダルマ)による国家統治を心がけた。その法(ダルマ)を国民に
知らしめ、守らせるために数種の法勅文を刻み領内各地に石柱を建てた。石柱はアショーカ王柱と呼ばれ、当初は30本あったが、法勅を刻んだもの10例を含め16例が遺る。
アショーカ王柱(マウリヤ朝) インドの仏教美術概略年表
ウラリヤー・ナンダガルに遺る一柱のみが完存する。また、サールナート出土石柱の柱頭は4頭の獅子が背中合わせ表現され、インド共和国の紋章になっている。石柱は、
ベナレス近郊のチュナール産黄灰色砂岩を研磨し、継ぎ目のない一本柱(モノリス)の円柱に、インドの伝承に基づく四聖獣(象・牡牛・馬・獅子)の丸彫り彫刻を柱頭に載せる。
ヴァイシャーリーのアショーカ王柱(インド、ビハール州)
ヴァイシャーリーのストゥーパとアショーカ王柱
ヴァイシャーリーは古代インドの大都市で仏教八大聖地の一つ。仏典には、ここで仏陀が3ヶ月後の自身の死を予告したと伝える。ここに残る王柱には銘文がない
鐘(ベル)型の反花(かえりばな)を刻出した上に、獅子を載せている |
ルンビニーのアショーカ王柱(ネパール、ルンミンデイ)
仏陀誕生の地ルンビニーには、マーヤー夫人堂の裏にアショーカ王柱が立っている。
ルンビニー、チベット僧により樹に結ばれたタルチョが翻る |
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ルンビニーのアショーカ王柱(紀元前3世紀) | アショーカ王柱下部に刻まれた碑文 |
アショーカ王柱の碑文
碑文には、「アショーカ王は、即位二十年をへて、自らここに来たり、親しく参拝した。ここでブッダ=シャカムニが誕生せられたか
らである。それで石で馬像を造り、石柱を造立せしめた。ここで世尊が誕生せられたのを記念する為である。・・・・・・・・・・・」とある。
サールナートのアショーカ王柱・四頭獅子柱頭
アショーカ王柱・四頭獅子柱頭(レプリカ、パキスタン、ラホール博物館)
レプリカで本物(前3世紀後半、砂岩、高さ 213.5Cm)は、ブッダ初転法輪の地 サールナート博物館にある。
柱頭は下から、蓮弁装飾、法輪・馬・牡牛・獅子・象を浮彫にした冠盤、四頭が背中合わせ表現された獅子像からなり、
当初は獅子像の上に直径 約80Cmの法輪が取り付けられていたという。また、インド共和国の紋章になっている。・・・・・
サールナートのアショーカ王柱 (紀元前3世紀)
サールナート アショーカ王柱の碑文
碑文の内容は、僧伽の分裂を戒めるものでサーンチーにも類似の記載がある
サーンチーのアショーカ王柱(インド、マディヤ・プラデーシュ州)
サーンチーのアショーカ王柱(左上)、基礎部と折れて残った部分(右上) (紀元前3世紀)
南トラナに向かって、すぐ右側にアショーカ王柱の基部が残っている(高さ 約2.5m)。碑文は、お坊さんたちが、親しみあって仲良くあること
(撮影:2003年12月29日 他)