猟師町 寛延二年(1749年) |
神功皇后が戦に先立ち、肥前国松浦で鮎を釣り、戦勝を占ったとされる伝説にちなむ。なお、神功皇后は当時懐妊されていたが、戦が終わって後、九州の地で応神天皇を無事出産されたことから、この山は「安産の山」として信仰されている。
所望は、皇后が岩に弓で字を書く所作をすると、次々と文字が現れてくるカラクリで、江戸時代の文字カラクリとしては斬新な機構とされている。 (大津観光協会パンフレットより)
神功皇后山(じんぐうこうごうやま)
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曳山の前面の、松の枝がアクセントを添えている
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曳山のあちこちに精巧な彫り物が見える
曳山は胴幕部分が赤の単色で、見送り幕の赤地とあいまってすっきりとした印象を受ける
神功皇后山の木製車輪(木製の梃子で、たくみに方向を変える)