鍛冶屋町 寛永十二年(1635年) |
俗に狸山といい、塩売治兵衛の狸面の伝承を持つが、明暦二年に西行法師が桜の精(仙人)と問答を交わす態を現わした人形を用いるようになって、その名を西行桜と改めた。
狸は屋上に載せられて祭の先導とも守護ともみられるようになり、祭日の天気を守ることになった。それに因んで、この山は毎年くじ取らずで、先頭で巡行する。
所望は、花の中から仙人が現れて西行法師と問答する。 (大津市観光協会パンフレットより)
毎年この山は、くじなしで先頭で巡行する。
今年、新調された水引幕「唐子嬉遊図」 |
曳き山には、カラクリが載っていて、所望場所で動かす。
どの曳山も、見事な見送り幕や水引幕に彩られている